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東葉1000系の一生(旧営団5000系)


東葉高速鉄道1000系は旧営団地下鉄5000系を種車とし、東葉高速鉄道の開業にあたり、整備改造された車両である。
改造内容についても、特にファンの心をくすぐるものは無く、東葉高速鉄道の運賃も高額鉄道と揶揄されるほどであったため、
訪れる人も少なかったように思える。
このように、地味に活躍を開始した同形式であったが、その誕生と終わりについては私自身不思議な縁で繋がっていた。
ここにつたない記録ではあるが、その一生を記録したい。



私がフィルムコンパクトカメラを父親に買い与えてもらった頃の写真。

場所は綾瀬車両基地で日付は1994年9月29日となっている。
画像が荒れていて申し訳ないが、5000系もだいぶ荒れている。写真からは5本の5000系が千代田線に混じって留置されていることがわかる。
幼い私はこれを見て何を思ったのだろうか。
図書館で「綾瀬車両基地は営団地下鉄で最大の車両基地である」と読んだことがあったので、東西線の車両も留める余裕がある、と思っていたのだと思う。
ボロボロだったので、物置か何かに使用しているのかな、とも思ったし、「大手町に秘密の連絡線があるに違いない!」とも考えたのを覚えている(実際にはありません)。


(1994.9.29 綾瀬車両基地にて)
これらの車両は、東葉高速鉄道向けの改造種車であり、一時的に綾瀬に留置されていたもの。

当時、東葉高速鉄道のことなんて全く知らなかったし、周りに詳しい人も居なかったため、全く謎のまま、帰路についた。

その後も、ずっとわからないままであったが、調べる手立てもなく、すぐに頭の中からは抜けていた。


その約一年後の1995年10月21日付けの写真である。
「何じゃこりゃ!?」

古びた屋根は確かにあの5000系の筈。しかし分散型のクーラーがのってる。

くたびれたステンレスの車体に真新しいラインとドアが入っている。
しかも営団の「子供の夢ぶち壊しドア」には程遠い長い窓のドアだ。

気になる前面はブルーシートで覆われていて、目にすることは出来なかったが、側面を見る限りでは、別にかっこよくも、悪くも、ダサくも何でもなかった。

この車両が新たに開業する「東葉高速鉄道」のものだとは後にわかった。
開業が1996年4月であるから、開業の約半年前。綾瀬に東葉1000系が誕生していた。

(1995.10.21 綾瀬車両基地にて)
その後、東葉高速鉄道の開業を向かえ、東西線の過酷な通勤輸送を支えた。

この間、自分が大人料金の年齢となり、営団地下鉄の旧型車引退がひと段落していたこともあって、鉄道から疎くなってしまう。毎年恒例の「夏のスタンプラリー」などで触れる機会も無くなった。

綾瀬での発見から11年後。
2006年11月、大学へ原付で通うまでに成長したが、その通学路に深川検車区があった。

ある日、5000系に反射板をつけたものがあった。

これはインドネシアへの輸出向けであったが、同時期に廃車が発生していた東葉1000系についても、インドネシアへ輸出されることとなった。

綾瀬での誕生から12年。
その最後を深川で立ち会うことになった。
3編成30両の1000系が海を渡ることとなった。

営団、東葉高速で果たした功績を、インドネシア(PT. Kereta Api社JABOTABEK 鉄道線)でも必ず成し遂げることであろう。


なお、譲渡回送の模様は、「東葉1000系、インドネシアへ」に詳しく記載しています。

 ○ おわり 

↓pokeo@深川では、1000系の甲種回送前の様子などが記録されています。



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関連記事: 東葉1000系、インドネシアへ 


当ページの名称の由来

旧帝都高速度交通営団の紋章である「Sマーク」は、
・地下鉄(Subway)の意味だけではなく、
・安全(Safety)・正確(Security)・速さ(Speed)・サービス(Service)
の頭文字であります。

また、これらの高品質な鉄道サービスに、子供の頃からすっかり虜になった私たちにとっては、
・趣味(しゅみ)
としての「S」マークが存在するだろう、と考え、このような名称としました。

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