→同名のページが留置車両の記録に有りますが、ここでは再編集してあります。
幌を外され、尾久へ疎開留置に出かける一こま。遂に常磐路を去る。 松戸区から大宮への回送には2パターンあり、マト16は尾久客車区へ疎開した上、大宮に回送するパターン。(もう一つは直接回送) 松戸駅にて 2004-03-01 |
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普段は到着しない地平ホーム13番線に到着した同車。 信号開通までひた待つ。 上野駅にて 2004-03-01 |
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8日、尾久から大宮へ自力で回送。最後の自走となる。 東北本→東北貨線に転線するため、尾久→東大宮操(土呂)→大宮操(さいたま新都心)→大宮と走行。 写真は最後の大宮到着時のものである。 まもなく電源を落とす。最後の惰性走行で後輩の脇を抜ける。 遂に1000番代ともお別れである。 大宮駅にて 2004-03-08(写真提供:常磐綾瀬之助さん) |
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さらばクハ青緑1000番代よ。 松戸電車区のきめ細かい保守で0番台と仲良く、常磐快速で幸せに活躍しました。 入れ替えで、奥へと転線し、留置線へ去っていきました。 大宮駅12番線にて 2004-03-08(写真提供:常磐綾瀬之助さん) |
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留置中の一こま。留置から約一ヶ月、多くの同僚が集まってきた。 順次、解体線に送り込まれる。 大宮運転区脇留置線にて 2004-03-27 |
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留置から一ヶ月強、3連に分割されて、留置線から解体線に送り込まれる元マト16の姿を偶然、目にしました。 | ||||||||
ここを通過するとき、警戒サイレン音が鳴るのです。 また、各ポイントを渡る時、普段聞かれないきしみ音がするのです。 それで、どんな気持ちっていわれても・・・ 大宮駅にて 2004-04-12 |
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そして解体線に運ばれた同車。 2004年おおみや鉄道ふれあいフェアの頃まで、その形をとどめた。 しかしもう、鉄くずになる寸前。見ていられない気持ちに。 安らかな眠りにつけますように、祈りながら、ありがとう、さようなら。 大宮総合車両センター解体線にて 2004-06-23 |
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かくしてその歴史の末期を見届けた訳であるpokeoであった。この期間中に導入計画変更により、常磐線ではもう暫く103系に活躍の場が与えられるなど、良い知らせもあったが、その枠には4両のクハ1000番代が入れる枠があったわけで、惜しみなく解体されてしまった同車を今でも遺憾に思う次第である。 最後に、203系に置き換えられた際、ローカル向けに改造され、105系として今だ健在の同車に登場いただいて、結びとする。 |
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おお!おまえさん!まだまだ元気にやってるんですね。安心した。 貫通幌も装備され、一段と渋くすっぱく、和歌山にたたずむ。 和歌山駅にて 2004-03-05 |
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