2006年4月8日、常磐線で103系電車による「さよなら運転」が行われました。 幼いころから緩行線に揺られ、綾瀬から柏のおじいちゃん家まで行ったとき、幾度も追い抜いていった103系。 公園で友達と遊ぶときも、駅の本屋で立ち読みをしていても、夜中にお風呂に浸かっていても、轟音を響かせて、通過していった103系。 その103系のK点を超えた轟音は、自分にとって、空気のような、当たり前のBGMでした。 しかし、103系が1編成体制になってから2年。 次第に轟音の存在は薄らいでいきました。特に金属音がする高音モーター車が少なくなったこともあり、轟音といっても、最後の唸りを低く静かに響かせていました。 そして去る3月17日、ダイヤ改正に伴い引退になりました。 弟と、「今日は何Hだ?」なんてやり取りを、交わさなくなって20日。 久々に轟音を聞きながらの、撮影の日がやってきた4月8日。天気は晴れだ。 今日は一日、撮影だ。 これまでの人生を轟音で彩ってくれた、103系とお別れだ! 103系、常磐線を走らせたら、音で右に出るものがいない車両へ・・・ |
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出区。 うまい写真を撮ろうとする輩から見れば、たいした構図ではないかもしれない。 しかし、お客をのせて常磐線を走る為の、最後の出区であること。そして、もしかしたら首都圏では最後の旅客扱いの103系列車の出区ということを考えれば、胸が熱くなるだろうか。 ヘッドマークも華やかに映え、普段は掲げることの無い「常磐線」幕を掲出する姿は、さながら凛として、カッコいい特別仕様車そのものである。 さぁ、走りたかっただろう!22日ぶりの本線走行に、行って来い!! 松戸車両センター(敷地外)にて |
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いつもの場所で、いつもの速度で。 久しぶりに聞いた轟音で、目頭が、大賑わいの撮影地で無理な体勢をとり、腰も熱くなった。 10連走行とはいえ、新型電車とは、やはり迫力が違います。 亀有-綾瀬にて |
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編成写真ではなんなので、くだりは流し。 2002年。ついにE231系が投入され、103系の引退がまぎれも無い事実だと悟りました。こんなヘッドマークをつけて、あっさりと常磐線快速から追いやられてしまうような悲しい事を、何度想像したことでしょう。 2年間も生き延びて、結果的に首都圏で最後まで残ったのです。 綾瀬-亀有にて |
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写真はよく撮れたと思う。でも・・・ さよなら運転は、違和感を覚えた。 ・・・「いつもの常磐快速ではない。」 私は103系という、車両自体ではなく、乗客を満載し、生活に密着しながら走行する快速電車が好きだったのです。 今日の走行はイベントで、任務を遂行している通勤電車の姿ではありません。 必死に車両だけ追う自分に、ブレーキがかかりました。 「撮ることが大切なのではない。103系が何だったのか、考えろ。」 |
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桜も散り始め、新年度が始まったのです。 常磐線も、その沿線に住む人も、新しい生活を始めたのです。 つまり、常磐線に103系の任務はもう無いのです。 今日のイベントは、学校の離任式みたいなものです。先生だった人が、久しぶりに現れる。でも、教えてくれることは無い。 そんな寂しさと懐かしさを、味わいました。 金町-松戸にて |
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