2008年11月30日 【セ】 九州譲渡回送の噂がささやかれてから2ヶ月程たった11月末。久しぶりに高萩の様子を見に行った。 白電博物館とまで言われた高萩駅構内に415系は4両2編成が悠々と横たわっていた。秋葉原で毎日顔をあわせた209系と譲渡を共にする1500番台の到着を待っていた。 【po】 今回、かの常磐線の白電の最後の2編成が九州へ甲種輸送されることを特集としまして、意思を同じくした3者、すなわちpokeo、常磐綾瀬の輔、御茶ノ水総合車両観察センター根津派出所がそれぞれの可能な範囲で撮影に出向き、公開する運びとなりました。 撮影が中心であるため、写真ばかりで啓蒙性の無いコメントばかりが並びますが、どうぞ最後までゆっくりご覧ください。 写真撮影やコメントには、以下の凡例で担当者を示します。 【綾】:常磐綾瀬の輔さん 【セ】:御茶ノ水総合車両観察センター根津派出所さん 【po】:pokeo |
【セ】 毎日掲出して走った「普通」。晩年は白幕で走行し見ることのできなかった普通表示掲出して留置されている。 11月30日、高萩駅構内にて。 |
【セ】 まだパンタ緊定されていないモハ414。交直流車ならでは複雑な屋根のお陰でデッドセクションを股にかけて活躍した。 11月30日高萩駅跨線橋にて。 |
【セ】 同僚は今でも走り、かつて走った水戸線にも乗り入れている。これから長旅を共にする1500番台と連結する日も近い。 11月30日、高萩駅付近より |
【セ】 上野土浦間の運用を共にしたE501もねぐらが勝田に移ったお陰で毎日会うことが出来る。 11月30日、高萩駅付近にて。 |
【セ】 高萩を出る頃には雲の合間から西日が射した。白電も閃光の加減で温かみのある色に染まる。 11月30日、高萩駅構内にて。 |
【セ】 所転じて八王子駅。高萩に疎開される元ウラ25(サハ2両とモハユニット欠車)。これから415系の待つ高萩へ向かう。 12月03日、八王子駅にて。 |
【セ】 編成番号札も6doorステッカーもそのままの元ウラ25。1年半以上の時を経て秋葉原での並びが再現される。 12月03日、八王子駅にて。 |
【セ】 ついに並んだ209系と415系。かつて秋葉原で見られた日常はいつしか貴重なものになった。12日に組み替え作業があったため白電との並びは残念ながら逃した。 12月20日、高萩駅敷地外にて。 |
【セ】 一方こちらはホームの北端から。白電が1500番台にサンドイッチされる形で組み替え作業が行われた。なぜこのような編成を組んだのか詳細は不明であるが、1500番台はいずれの連結器も自連に変わっている。小倉到着後、即工場に入場すると見られており、その際に牽引機の向きが変わるだろう。 12月20日、高萩駅にて。 |
【セ】 不思議なことにわざわざ幌までつないであった。2階建て、デカ目、マーブルと個性的な編成が多かった415系。しかし、鋼鉄先頭車と1500番台が連結される編成はなかった。 12月20日、高萩駅にて。 |
【セ】 こちらは上野連結寄りジャンパ詮もつながれている。せっかくの「通勤快速」幕が見られないのが残念であるが、1500番台に護衛される形で回送される。 12月20日、高萩駅にて。 |
【セ】 改札を出て、跨線橋の上から撮影したパンタグラフ。既に緊定されて仮死状態であった。 12月30日、高萩駅構内にて。 |
【セ】 常磐線の輸送を支える者、新天地が決まり今後も活躍約束が約束された者、どこに転用されるか決定を待つ者。いずれにせよこの写真に写った編成は幸運運だった。 12月20日、高萩駅にて。 |
【セ】 海側から編成を撮影。首都圏から別れをつげに来た209系とすごせる時間も少なくなってきた。 12月20日、高萩駅にて。 |
【セ】 こちらは山側。駅があるため入りきらないが久しぶりに見る12両。運命の日まで後2日。 12月20日、高萩駅構内にて。 |
【セ】 帰り際、走行中の車内より撮影できた唯一の編成写真。気をつけていってらっしゃい!。 12月20日、高萩−十王にて |
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415系が高萩に留置されるようになってから1年半以上が経過。最後まで残ったk607、K620。神栖での解体作業が終わり、JR九州に譲渡されるという話しがネット上でうわさされるようになりました。 千ケヨ103系と違い引退してから1年半以上放置された状態での譲渡はにわかに信じがたかったのが本音でした。 個人的には1両くらい鉄道博物館へ、と期待しましたが静態保存されるより、九州で走ってくれたほうが幸せなのは言うまでもありません。 さて、譲渡回送は確実なものとなり、久しぶりの本線走行に期待が高まります。 更新車:御茶ノ水総合車両観察センター根津派出所 |
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