高萩から神栖まで
本当にさようなら、K903

2008年03月30日

今年度最後の神栖回送はK903編成でした。403系鋼鉄車から415系1500番台まで形式や見た目の違いはあるものの上野からいわきまで勝田区の保守のもとお互い協力し広範囲にわたり乗客を運んできた。そして後輩E531に常磐路を譲って1年。今回は唯一7両基本編成の中に403系と415系、制御車にいたっては401系も含まれるK903編成の旅立ちからその姿が消えるまでを追うことにした。


あれだけ多くの白電が留置されていた駅舎側もご覧の通り。筆者が到着する前はここにK903編成が横たわっていた。当日の寝坊が悔やまれる。03月30日、高萩にて。


一方駅舎の東側にはご覧の通り多くの留置車両がおり’白電博物館’の異名を保ったままである。03月30日、高萩にて。

 

鉄道の日に見た光景と同じである。今回は既にこの状態で停車していた。前面強化工事を受けている事とグロベンが403系の特徴。この時点では既にパンタグラフが縛られ開かないようになっている。03月30日、高萩にて。


ゆっくりと動き始めた。一旦高萩駅構内の端まで牽引された後手前の線路に転線される。ついにK903編成も赤い死神に引かれる日がやってきた。03月30日、高萩にて。


晴れ渡る青空のもとグロベンを備えるK903が高萩駅構内を移動する。最後の自走を撮影できなかった事が悔やまれる。03月30日、高萩にて。


運用番号に注目。運番は903を表示している。留置車両の管理、識別のため意図的に表示したものなのか、ファンサービスなのかは不明であるが美しい表示。ちなみにK910の時の上野寄り先頭車の運用番号も910であった。前面方向幕も白標でなければ直良いが、「回送」を標示した編成もある。03月30日、高萩にて。


そして所定の位置まで来たところで停車。夜の廃車回送まで静かに待つ事になる。鹿島臨海鉄道のDLと連結が出来るように自連型が備えられている。翌日の朝にどこに着くのか、どのような運命が待っているのか、それを知ってはいるが綺麗な姿をとどめているこの編成は反射板が付いている以外は、かつて毎日見た403・415系となんら変わらなかった。03月30日、高萩にて。


こちらはクハ401-73車内。東京近郊路線図がイレギュラーな場所に移動している。何かの目的があって移されたものなのだろうか?03月30日、高萩にて。


そして夜。最後のフレッシュひたちが発車した後水戸駅7番線に滑り込む。03月30日、水戸にて。


乗務員室のドアは開き、乗客用ドアも手動になっている。天気の良かった昼間とはうってかわり夜は涙雨の中の回送となった。前面窓ガラスや反射板が涙で濡れる。03月30日、水戸にて。


やや開きすぎた感がある。デジ一にして初めてのバルブであった。後に分かったことだが1/3秒くらいがベストだったようである。03月30日、水戸にて。


EF81が水戸機関区へ戻った後のK903。写真で見る限り傷ひとつない綺麗な姿である。最後に本線を走行したと思われる9569M。9000番台から推測して高萩への疎開回送だったのであろう。03月30日、水戸にて。


この後水戸駅発車も撮影する予定であったが、雨が強くなってきたため神栖観察に力を注ぐこととして帰宅した。03月30日、水戸にて。


ところ変わって旧神栖駅周辺。DLとK903の間には貨物が停車していてあまり良い構図ではなかったのでDLが来たところを撮影。この写真ではわからないが既に3+4に分割されていた。この写真の先頭車はいわき寄り先頭車、つまり水戸から神栖まで鹿島臨海鉄道のDLと連結した先頭車である。中央よりやや左に見えるのは700番台のトップユニットである。架線すらないこの神栖にK903を連れてきたDLが貨物の入れ替えのため通り過ぎる。04月01日、神栖にて。


実は「K903」を撮りたくて撮った一枚でした。しかし、「903」と表示していたはずの運用番号は724Mを示し、白標だったはずの前面方向幕は「回送」を示している。ガラスの取り外しや幌の除去は行われていないようだ。04月01日、神栖にて。


さて、問題はここからである。姿の見えなかった4両は既に解体線に移動され重機による解体作業が行われていた。04月01日、神栖にて。


無残にも側面がえぐり取られている。重機のアームに掴まれた残骸の塗装が残っている部分の塗装と一致している。04月01日、神栖にて。


クーラーの残骸。調べてみたところBSO11はモハ403-12、BHO63はモハ402-12、EH650はクハ401-73、おそらくEH049はサハ411-701のものであることが判明。どうやらサハは既に解体されその姿を見ることは出来なかったようである。04月01日、神栖にて。


どうやらこの側面の山のなかにサハ411-701の亡骸が含まれているようである。車輪もおびただしい数が確認できる。04月01日、神栖にて。


車内の広告は引退した当時のまま貼りっぱなしだったようだ。昨年の11月14日に奇跡的に運用復帰したK516の車内も偕楽園の梅祭りの広告がそのまま残っていたそうだ。04月01日、神栖にて。


今にも屋根が崩れ落ちそうなモハ403-12。撮影を始めてから10分足らずで片側側面の半分が切り取られてしまった。重機が隣の2両を襲うのも時間の問題であろう。04月01日、神栖にて。


さて、神栖へ向かう途中珍しいものを発見した。鹿島にサシ489があるという話は聞いたことはあったが、まさか神栖の近くにあったとは知らなかった。右側は北浦からの潮風にさらされるため痛みが激しい。04月01日、鹿島にて。


なんと、このサシ、廃車体だと思いきや営業している。ここはエル(L特急のLでマークもL特急マーク)というトンカツ屋さん。車内の様子は55mm以下のレンズを車の中に忘れたまま食事をしたため撮れませんでした。メニューも「ゆうづる」、「しらさぎ」といった特急の愛称にちなんだものがあり、値段は850円〜950円でした。食堂車で食事をするのは初めてでした。04月01日、鹿島にて。


北長野へ行ったことはあったが、回送翌日だったためか留置されているだけという状態で実際に解体作業はされていなかった。そのため解体作業を生で見るのは初めてであった。あんなに重くて頑丈そうな車両が簡単に壊されていく姿は意外とあっけなかった。今回のK903の回送で高萩駅の西側の留置線からは留置車両がすべて消えたことになる。もしかしたら、次回以降の高萩発の神栖回送は反射板を付けながらも本当に最期となる自走を見る事が出来なくなってしまうかも知れない。今回、高萩まで撮影に訪れた理由は2つあった。1つはK903だったからという理由である。K903は7両中4両が403系、のこり3両が415系という異色の編成であった。しかも、415系は700番台のトップであった。また、K821の運用離脱以後はひまわり団臨に充当されることもあり、普段首都圏では見ることの難しい7両基本での運転を行うなど特徴のある編成であったことがあげられる。もうひとつは先ほど述べたように高萩駅の西側に留置されていた最期の編成であったことである。今回は悔しくも自走の撮影は出来なかったが、水カツの白電史上本当に最期の編成の自走も許されるのであれば狙いたいところである。また、サシ489の中で食事をしたという不思議な体験もまた、楽しいものであった。

〜追記〜
並走シリーズ第2弾として、今回はK903のひまわり団臨の勝田への返却回送の走行シーンをyou tubeにアップしました。この動画は上野→日暮里を走行中のK903を隣を走る宇都宮・高崎線のE231系から2006年5月21日に撮影したものです。これは狙って撮ったものというよりは103系が留置されている尾久の様子を見に行く途中に偶然撮影したものです。誇らしげにヘッドマークを掲げ、都心を7両で走る白電をお楽しみください。晩年は白標で走ることの多かった白電ですが「回送」を標示して走行する姿も注目です。



更新者:御茶ノ水総合車両観察センター根津派出所



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いつまでも、
  貴方のそばに1000番代
何箱も買わなくって
  良いんだよ
 良き共演者であり主役。   追い出し役。

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